「STAND BY ME」のBEN ...
2015.05.03
R&B SOULの大御所 BEN E KING(76歳)が、4月30日に死去しました。
4月14日のPARCY SLEDGE死去に次ぐ訃報です。
BEN E KINGの大ヒット曲と言えば、やはり1961年にビルボードR&Bチャート4週連続NO.1に輝いた「STAND BY ME」ですが、‘86の映画のタイトルと主題歌に使用され一般的に知られるようになりました。
元DRIFTERS(ドリフターズと言ってもちょうさんのドリフターズじゃないですよ)のメンバーとして’59から’60まで在籍していたのも有名です。
彼は、10代の頃に友人らと4名のドゥーワップグループFOUR B’sを結成し、その後マイナーグループであるFIVE CROWNSに’58に参加したそうです。
BENが、DRIFTERSのメンバーとなったのはエピソードがあり、当時のDRIFTERSのマネージャーがメンバー全員をクビにしたときに、たまたまニューヨークハーレムのアポロの前座をつとめたFIVE CROWNSを見て、そのマネージャーがスカウトして、FIVE CROWNSのメンバーそのものをDRIFTERSにしてしまったとのことです。
そして、新生DRIFTERSのヒットは、’59ビルボードNO.1になった「THERE GOES MY BABY」、NO.2になった「DANCE WITH ME」、そして彼のリードボーカルのNO.1ヒット「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」は、ラテン調のリズミカルな有名な曲です。
彼はそのヒットの後、’60後半にソロデビューしましたが、なかなかヒット曲に恵まれず、’61にようやく待望のソロ初のヒット曲「SPANISH HARLEM」がビルボード15位まで上昇しました。
これもラテン調の曲です。
そしてその直後、あの有名な「STAND BY ME」をリリースしてR&B チャートNO.1に輝きました。
’61には「AMOR」が10位、’62に「DON’T PLAY THAT SONG」が4週連続第2位になったものの長年ヒット曲に恵まれず、13年ぶりの’75に「SUPER NATURAL THING PART 1」が、ビルボードNO.1になりました。
何とも言えない、ダラダラしたケッタル系のダンスミュージックでFUNKファン好みの曲です。
また、その年に「DO IT IN THE NAME OF LOVE」が第4位となりました。
‘77には、AVERAGE WHITE BANDと共に「GET IT UP」と「A STAR IN THE GHETTO」がビルボードチャートにランクインされましたが、20位代にとどまりました。
‘80に「MUSIC TRANCE」29位にランキングされたのが、彼の最後のヒット作となり、翌年の’81にリリースされたアルバム「STREET TOUGH」からは、シングルヒットは1曲も出ませんでした。
それから‘86に映画「STAND BY ME」の主題歌として使われたため、また、この曲が評判となりビルボードHOT100にリエントリーされたようです。
さて上の写真は、’85にBEN E KINGが来日した時に若き23歳の私が、ズケズケと彼の楽屋に行って一緒に撮った写真です。
LIVE IN ‘82という渋谷のライブハウスです。
当時学生の私は、FATBACKやBT EXPRESS・VAUGHN MASONなどを半ば彼らのマネージャー気取りで、コンサートが終わった後、六本木のクラブに案内をしていたため、このライブハウスでは、顔になっていたので楽屋には入れたのです。
この時もBENと友達になりたいので、クラブに誘いましたが丁重に断られました。
ライブハウスの人によれば、BENの奥さんは恐妻家で、浮気をしないようにライブには必ずついてきて外に出さないという事でした。
その時は、バックバンドの人たちと遊びに行きました。
このライブの日程中、彼は声があまり出すことができず、本気で歌えませんでした。
そのためBENの大ファンであるライブハウスの社長のはからいで、BENの滞在期間を延長して、当日の観客全員にタダ券を配ってくれたのです。
写真は、そのときの延長ライブ終了直後に撮ったものです。
歌い終わって疲れて暑いのにタオルを巻いて、嫌な顔一つせずレコードジャケットにサインをしてくれ、さらに笑顔で一緒に写真を撮ってくれました。
若き私にとって彼の歌声と優しさは、胸にしみました。今でも忘れられません。
この写真にも彼の優しさが全面に出ているではありませんか。
夢のようなひと時でした。ありがとうございます。
心から哀悼の意を捧げます。